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青鷺火(あおさぎのひ)



江戸時代の妖怪画集として知られる鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』や『絵本百物語』にも取り上げられ、江戸時代にはかなり有名な怪談であったことがわかる。また江戸後期の戯作者・桜川慈悲功の著書『変化物春遊』にも、大和国(現・奈良県)で光る青鷺を見たという話がある。それによると、化け柳と呼ばれる柳の大木に毎晩のように青い火が見えて人々が恐れており、ある雨の晩、1人の男が「雨の夜なら火は燃えないだろう」と近づいたところ、木全体が青く光り出し、男が恐怖のあまり気を失ったとあり、この怪光現象がアオサギの仕業とされている。新潟県佐渡島新穂村(現・佐渡市)の伝説では、根本寺の梅の木に毎晩のように龍燈(龍神が灯すといわれる怪火)が飛来しており、ある者が弓矢で射たところ、正体はサギであったという。

ゴイサギやカモ、キジなどの山鳥は夜飛ぶときに羽が光るという伝承があり、目撃例も少なくない。郷土研究家・更科公護の著書『光る鳥・人魂・火柱』にも、昭和3年頃に茨城県でゴイサギが青白く光って見えた話など、青鷺火のように青白く光るアオサギ、ゴイサギの多くの目撃談が述べられている。サギは火の玉になるともいう。火のついた木の枝を加えて飛ぶ、口から火を吐くという説もあり、多摩川の水面に火を吐きかけるゴイサギを見たという目撃談もある。江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも、ゴイサギが空を飛ぶ姿は火のようであり、特に月夜には明るく見え、人はこれを妖怪と見紛える可能性があるとの記述がある。

また一方でゴイサギは狐狸や化け猫のように、歳を経ると化けるという伝承もある。これはゴイサギが夜行性であり、大声で鳴き散らしながら夜空を飛ぶ様子が、人に不気味な印象をもたらしたためという説がある。老いたゴイサギは胸に鱗ができ、黄色い粉を吹くようになり、秋頃になると青白い光を放ちつつ、曇り空を飛ぶともいう。

科学的には水辺に生息する発光性のバクテリアが鳥の体に付着し、夜間月光に光って見えるものという説が有力と見られる。また、ゴイサギの胸元に生えている白い毛が、夜目には光って見えたとの説もある。(wikipediaより)


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青女房(あおにょうぼう)


『今昔画図続百鬼』によれば、眉毛がぼうぼうに伸び、お歯黒を黒々と付けた女の姿で描かれている。解説文中では、荒れ果てた古御所で、誰かが訪ねて来るのに備えて常に化粧をしているとある。本来の意味での青女房とは、貴人に仕える若い女性、もしくは未熟な女性を指すが、そうした女性をもとにした創作妖怪として、石燕が描いたものといわれる。

一方の『百鬼夜行絵巻』では、目の充血した女が団扇を仰いでいる姿で描かれている。「青女房」は過労から精力の衰弱した女を意味する言葉でもあり、目の充血はそれを彷彿させる。また扇で扇ぐさまを意味する「煽ち(あおち)」は、いくら働いても貧乏から抜け出せない「煽ち貧乏」に通じることから、一種の貧乏神のような妖怪との説がある。また室町時代の『百鬼夜行絵巻』にも女官の妖怪が描かれており、これがモデルともいわれる。(wikipediaより)


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青坊主(あおぼうず)


画図では草庵のそばに立つ一つ目の法師の姿として描かれているが、『画図百鬼夜行』中に解説文が一切ないため、特徴などの詳細は不明。佐脇嵩之の『百怪図巻』などの妖怪画にある目一つ坊を原案として描かれたとされる。また「青」は未熟の意に通じるため、修行の足りない坊主を妖怪として描いたとの説もある。(wikipediaより)


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赤舌(あかした)


説明文が添えられていないため、どのような意図で創作されたのかは定かではないが、太歳(木星)の西門を守護する赤舌神との関係が示唆されている。『東北怪談の旅』(山田野理夫、1974年)には赤舌が青森県津軽の農村に現れて水争いを解決したという話が掲載されているが、これは水争いの伝承に赤舌が後付けされたものだと解されている。

『画図百鬼夜行』では水門から水が流れ出している様子が描かれているが、妖怪探訪家・村上健司は、石燕による一種の絵解きとの説を唱えている。それによれば、「赤」は「淦」(船底にたまる水)や「垢」に通じることから汚れを比喩しており、「舌」は「下」(心の奥を意味する)や諺の「舌は禍の門」(『口は禍のもと』と同意)に通じることから、赤舌とは一種の羅刹神であり、口が開いている限りは吉事に恵まれないことを意味した絵なのだという。

また、江戸時代の妖怪絵巻『化物づくし』『百怪図巻』『化物絵巻』『百鬼夜行絵巻』などには、この赤舌のモデルとされる「赤口(あかくち)」なる妖怪がある。こちらはその名が示すように、六曜の赤口をもとに創作された妖怪との説がある。(wikipediaより)


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垢嘗(あかなめ)


画図では足に鉤爪を持つざんぎり頭の童子が、風呂場のそばで長い舌を出した姿で描かれている。解説文が一切ないため、どのような妖怪を意図して描かれたものかは推測の域を出ないが、江戸時代の怪談本『古今百物語評判』には「垢ねぶり」という妖怪の記述があり、垢嘗はこの垢ねぶりを描いたものと推測されている。

『古今百物語評判』によれば、垢ねぶりとは古い風呂屋に棲む化物であり、荒れた屋敷などに潜んでいるといわれる。当時の科学知識によれば、魚が水から生まれて水を口にし、シラミが汚れから生じてその汚れを食べるように、あらゆる生物はそれが生じた場所にあるものを食べることから、垢ねぶりは塵や垢の気が集まった場所から変化して生まれたものであり、垢を嘗めて生きるものとされている。

現在では、垢嘗もこの垢ねぶりと同様に解釈されている。その解釈によれば、垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり、人が寝静まった夜に侵入して、風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗めるとされる。垢を嘗める以外には何もしないが、当時の人々は妖怪が現れるだけでも気持ち悪く感じるので、垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていたという。垢嘗の正体を見た者はいないが、名前の「垢(あか)」からの連想で赤い顔、または全身が赤いともいわれる。また、「垢」には心の穢れや煩悩、余分なものという意味もあることから、風呂を清潔にしておくというだけではなく、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれているとの説もある。(wikipediaより)


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鐙口(あぶみくち)


鐙口(あぶみくち)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪で、鐙(馬具の一種)が変化したとされる付喪神の一種。

妖怪漫画家・水木しげるの説によれば、鐙口はもとは武将の使う鐙であり、本来は持ち主である武将と運命を共にするはずが、その武将が戦死し、野に捨てられた鐙が妖怪と化し、飼い主を待つ犬のように、帰るはずのない主をいつまでも待ち続けているのだという。

但し原典『百器徒然袋』にはそのような伝承は述べられておらず、妖怪探訪家・村上健司はこれを、石燕が絵解きとして創作した物としている。(wikipediaより)


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油赤子(あぶらあかご)


「むかし志賀の里に」以降は、江戸時代の書物『諸国里人談』『本朝故事因縁集』にある怪火「油盗みの火」を引用したものである。それらの書物によれば、近江国(現・滋賀県)大津で、油売りが夜ごとに地蔵の油を盗んで売っており、その者が死後に迷って怪火となったとの俗信が記述されている。比叡山にも「油坊」という怪火が現れたといい、『諸国里人談』ではこの油盗みの火は油坊と同じものとされている。石燕の油赤子は、この『諸国里人談』などにある油盗みの火をもとにした創作物と推察されている。

近年の妖怪関連の書籍では、この妖怪は、火の玉の姿で飛来して家の中へ入り込み、赤ん坊の姿となって行灯の油を舐め取ると、再び火の玉の姿に戻って飛び去っていくものと解釈されている。かつての田舎の行灯には魚油、それも精製されていない物が用いられていたため、ネコがこの油を好んだ姿が油赤子に見えなくもないとの説もある。

この油赤子の解釈に似たもので、小説家・山田野理夫による怪談集『東北怪談の旅』では秋田県の怪談として「油嘗赤子(あぶらなめあかご)」と題し、秋田の庄屋の家に赤子連れの女が泊まり、その赤子が行灯の油を1滴残らず嘗めてしまったという話がある。『東北怪談の旅』は石燕の創作妖怪など民間伝承にない妖怪が多く登場していることが専門家から指摘されており、この「油嘗め赤子」も石燕の油赤子をもとに創作したものとする説がある。また、井原西鶴による江戸前期の浮世草子『本朝二十不孝』にも灯火油を飲む子供が登場するが、同様に創作物と指摘されている。

これらのほかにも、油なせや姥ヶ火など、油への執心にまつわる伝承をともなう妖怪譚は多い。こうした背景には、日本では油はもともと食用や照明などに重宝されており、特に中世以降は油の精製技術が向上したことから油は生活必需品となったという事情があり、油を粗末に扱うことへの戒めからこうした妖怪が生まれたとの説も唱えられている。(wikipediaより)


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天逆毎(あまのざこ)


スサノオが体内にたまった猛気を吐き出し、その猛気が形を成すことで誕生したとされる。姿は人間に近いものの、顔は獣のようで、高い鼻、長い耳と牙を持つ。

物事が意のままにならないと荒れ狂い、力のある神をも千里の彼方へと投げ飛ばし、鋭い武器でもその牙で噛み壊すほどの荒れようだったと伝えられている。また、天邪鬼のように物事をあべこべにしないと気の済まない性格で、前のことを後ろ、左のことを右などと言ったという。

子供として天魔雄神をもうけるが、後に天魔雄神は九天の王となり、荒ぶる神や逆らう神は皆、この魔神に属した。彼らが人々の心に取り憑くことによって、賢い者も愚かな者も皆、心を乱されてしまうとされている(『和漢三才圖會』巻44治鳥付天狗天魔雄)。

天逆毎と天雄魔神の親子は、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』でも描かれている。(wikipediaより)


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網剪(あみきり)


エビのような体にカニまたはサソリのような手のはさみを持つ姿で描かれているが、同画集には解説文がないため、石燕がどのような妖怪を描いたかは不明。妖怪研究家・多田克己の説によれば、小型甲殻類のアミと網との言葉遊びで石燕が創作したものという。もっともアミには前脚のはさみがないため、アミを由来とするこの説を疑問視する声もある。また『画図百鬼夜行』は、『百怪図巻』などの先行する妖怪絵巻に収録された妖怪画を引き写して描いたものが多く収録されているが、この「網切」は『百怪図巻』などでいうところの、人間の髪を切る妖怪「髪切り」に相当するものとの説もある。

山田野理夫の著書『東北怪談の旅』には山形県庄内地方の怪談として、庄内地方で網切が漁村の魚網をズタズタに切り裂き、ある者が網をすばやく家に隠して害を防いだところ、夜に虫除けのために部屋に吊っておいた蚊帳を網切に切り裂かれ、全身を蚊に刺されてしまったという話がある。このために妖怪関連の各種文献では、網切は蚊帳を切り裂く妖怪として述べられていることがあるが、妖怪探訪家・村上健司はこの山形の怪談を伝承ではなく山田の創作物と指摘している。(wikipediaより)


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雨女(あめおんな)


鳥山石燕による妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に「雨女」と題した画があり、解説文には「もろこし巫山の神女は 朝には雲となり 夕には雨となるとかや 雨女もかかる類のものなりや」とある。これは楚の文人・宋玉の詩『高唐賦』で、楚の懐王が夢の中の巫山の女を愛し、女が去る際に「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」と言い残したエピソードからの引用であり、「朝雲暮雨」は男女の密やかな交情を示す故事成語である。雨にまつわる妖怪といった記述は見られず、石燕の雨女は江戸時代の吉原遊郭を風刺した創作画と指摘されている。

産んだばかりの子供を雨の日に神隠しに遭って失った女性が雨女となり、泣いている子供のもとに大きな袋を担いで現れるとの説もある。

なお、「雨を呼ぶ迷惑な妖怪」とされる事もあるが、旱魃が続いたときに雨を降らせてくれる「雨を呼び人を助ける妖怪」という神聖な「雨神」の一種とされる事もある。

長野県下伊那郡では、雨の降る夜に雨おんばという怪女が現れるといわれ、子供をさらう妖怪、雨の日に訪れる神が堕落して妖怪化したものなどの説がある。(wikipediaより)


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雨降小僧(あめふりこぞう)


『今昔画図続百鬼]』では、中骨を抜いた和傘を頭に被り、提灯を持った姿で描かれている。解説文には、「雨のかみを雨師(うし)といふ 雨ふり小僧といへるものは めしつかはるる侍童(じどう)にや」とあり、中国の雨の神である「雨師」に仕える侍童(貴人に仕える子供)であることが述べられている。

雨師(うし)が貴人の尊称である大人(うし)に、侍童(じどう)は児童(じどう)に通じることから、「大人に奉公する子供」との言葉遊びで描かれた妖怪、といった解釈もある。

江戸時代の黄表紙では、黄表紙の人気キャラクターである豆腐小僧と同様、小間使いの役目をする妖怪として登場している。寛政4年(1792年)発行の黄表紙『御存之化物』(ごぞんじのばけもの、桜川慈悲成作、歌川豊国画)では、雨の夜を男が歩いていたところ、竹の笠をかぶった一つ目の雨降小僧が、両手に何かを持って歩み寄ったとある。雨の夜に現れたということと、両手に何かを持っていたという点から、同じく雨の夜に現れ、豆腐を持った妖怪である豆腐小僧に通じるとの解釈もある。(wikipediaより)



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あやかし


アヤカシは、日本における海上の妖怪や怪異の総称。

長崎県では海上に現れる怪火をこう呼び、山口県や佐賀県では船を沈める船幽霊をこう呼ぶ。西国の海では、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものだという。

対馬では「アヤカシの怪火」ともいって、夕暮れに海岸に現れ、火の中に子供が歩いているように見えるという。沖合いでは怪火が山に化けて船の行く手を妨げるといい、山を避けずに思い切ってぶつかると消えてしまうといわれる。

また、実在の魚であるコバンザメが船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまたアヤカシの異称で呼ばれた。

鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』で「あやかし」の名で巨大な海蛇を描いているが、これはイクチのこととされている。(wikipediaより)


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生霊(いきりょう)


人間の霊(魂)は自由に体から抜け出すという事象は古来より人々の間で信じられており、多くの生霊の話が文学作品や伝承資料に残されている。広辞苑によれば、生霊は生きている人の怨霊で祟りをするものとされているが、実際には怨み以外の理由で他者に憑く話もあり、死の間際の人間の霊が生霊となって動き回ったり、親しい者に逢いに行ったりするといった事例も見られる。(wikipediaより)


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以津真天(いつまで)


以津真天(いつまで、いつまでん)は、鳥山石燕による江戸時代の日本の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある怪鳥。解説文に「広有 いつまでいつまでと鳴し怪鳥を射し事 太平記に委し」とあるように、『太平記』巻12の「広有射怪鳥事」に登場する怪鳥を描いたものである。

『太平記』によれば1334年(建武元年)の秋、疫病が流行して病死者が多く出た頃、毎晩のように紫宸殿の上に怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いて人々を恐れさせていた。公卿たちは源頼政の鵺退治にちなんで弓の名手に退治させようと考え、依頼を受けた隠岐次郎左衛門広有は鏑矢で見事、怪鳥を射止めた。その怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸のような歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったという。

なお『太平記』にはこの鳥は「怪鳥」と記述されているのみで名前はなく、「以津真天」の名は鳥山石燕がこの逸話を『今昔画図続百鬼』に描く際、その鳴き声をもとに名づけたものとされる。また昭和以降の妖怪関連の文献では、戦乱や飢餓などで死んだ死体をそのまま放っておくと、この怪鳥が死体の近くに止まり、「死体をいつまで放っておくのか」との意味で「いつまで、いつまで」と鳴くもの、またはそうして死んだ者たちの怨霊が鳥と化したものとする解釈もある。(wikipediaより)


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犬神・白児(いぬがみ・しらちご)


犬神(いぬがみ)は、狐憑き、狐持ちなどとともに、西日本に最も広く分布する犬霊の憑き物(つきもの)。近年まで、大分県東部、島根県、四国の北東部から高知県一帯においてなお根強く見られ、狐の生息していない四国を犬神の本場であると考える説もある。また、犬神信仰の形跡は、島根県西部から山口県、九州全域、さらに薩南諸島より遠く沖縄県にかけてまで存在している。宮崎県、熊本県球磨郡、屋久島ではなまって「インガメ」、種子島では「イリガミ」とも呼ばれる。

白児(しらちご)は「犬神」に仕える童子姿の妖怪。犬に喰い殺された子供の霊であるという。詳細はいっさい不明。(wikipediaより)


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牛鬼(うしおに)


非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好む。

伝承では、頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ。または、その逆に頭が鬼で、胴体は牛の場合もある。さらに別の伝承では、牛の首で蜘蛛の胴体を持っていたともされる。また、山間部の寺院の門前に、牛の首に人の着物姿で頻繁に現れたり、牛の首、鬼の体に昆虫の羽を持ち、空から飛来したとの伝承もある。

海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされる。特に淵に現れることが多く、近畿地方や四国にはこの伝承が伺える「牛鬼淵」・「牛鬼滝」という地名が多く残っている。(wikipediaより)


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丑時参(うしのときまいり)


丑の刻参り、丑の時参り(うしのこくまいり、うしのときまいり)とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種である。

有名な神社としては、京都府の貴船神社や岡山県の育霊神社などがある。 古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。後に呪詛する行為に転ずる。「うしのときまいり」という言葉の方が古い。(右図参照) 丑の刻参りの方法は、江戸時代に完成した方法を基本的な部分では踏襲している。しかし細かい部分では、藁人形に呪いたい相手の体の一部(毛髪、血、皮膚など)や写真、名前を書いた紙を入れる必要があったり、丑の刻参りを行う期間に差があったり、打ち付けた藁人形を抜かれてはいけないと地方・伝わり方で違いがあり、呪うために自身が鬼になるのではなく、五寸釘を打った藁人形の部位に呪いをかけることができるという噂が広く知られるなど、現代では少し変化している。

一般的な描写としては、白装束を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭に五徳をかぶってそこにロウソクを立て、一本歯の下駄を履き、胸には鏡、腰には護り刀、口に櫛を咥えて神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むというものが用いられる。また、丑の刻参りをしている者の姿を他の人に見られると、参っていた人物に呪いが跳ね返って来ると言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられる。(wikipediaより)


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後神(うしろがみ)


後神(うしろがみ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』などにある日本の妖怪。

『今昔百鬼拾遺』では頭頂部に一つ目を頂く女性の幽霊のような姿で描かれており、石燕による同書の解説文によれば、突然人の背後に現れて後ろ髪を引くものとしている。妖怪探訪家・村上健司はこれを、「後ろ髪(うしろがみ)を引かれる」と「神」との語呂合わせによる創作物としている。

江戸時代の狂歌本『狂歌百物語』では名称は「後髪(うしろがみ)」とされ、画図は後ろ髪をひかれる女性のみで、妖怪などは描かれていない(画像参照)。これは何かを決断して行動しようとする人間の心を、その決意よりもさらに強く思いとどまらせようとする心の動きや戸惑いなどを、一種の霊として表現したものと解釈されている。

井原西鶴の著書『西鶴織留』によれば、後神が三重県の伊勢神宮の宮に祀られており、親が子を勘当しようとしたとき、親の背後に立って気持ちをなだめるものとされる。

妖怪漫画家・水木しげるは「後ろ髪」と「後神」とは関連性のないものとし、岡山県津山地方に後神が現れた話を述べている。それによれば、臆病な女が夜道を歩いていたところ、突然現れた後神がその女の束ねた髪をくしゃくしゃに乱し、火のように熱い息を吹きかけたという。また、風を起こして傘を飛ばしたりして驚かしたり、冷たい手や熱い物を首筋につけたりするものともいう。

他にも戦後の文献によれば、臆病者や優柔不断な人間に取り憑く妖怪・臆病神(おくびょうがみ)の一つで、人が何かを行おうとして躊躇しているとき「やれ、やれ」などとそのかして、その者がいざ行動に出ようとすると、後ろに回って後ろ髪をひき、恐怖心や心残りを誘うものであり、震々、袖引小僧などもこの臆病神の一種だとの説もある。(wikipediaより)


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姥ヶ火(うばがび)


姥ヶ火、姥火(うばがび)は、河内国(現・大阪府)や丹波国(現・京都府北部)に伝わる怪火。寛保時代の雑書『諸国里人談』、井原西鶴の雑話『西鶴諸国ばなし』、江戸時代の怪談本『古今百物語評判』、『河内鑑名所記』、鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』などの古書に記述がある。

『諸国里人談』によれば、雨の夜、河内の枚岡(現・大阪府東大阪市)に、大きさ約一尺(約30センチメートル)の火の玉として現れたとされる。かつてある老女が平岡神社から灯油を盗み、その祟りで怪火となったのだという。

河内に住むある者が夜道を歩いていたところ、どこからともなく飛んできた姥ヶ火が顔に当たったので、よく見たところ、鶏のような鳥の形をしていた。やがて姥ヶ火が飛び去ると、その姿は鳥の形から元の火の玉に戻っていたという。このことから妖怪漫画家・水木しげるは、この姥ヶ火の正体は鳥だった可能性を示唆している。

この老女が姥ヶ火となった話は、『西鶴諸国ばなし』でも「身を捨て油壷」として記述されている。それによれば、姥ヶ火は一里(約4キロメートル)をあっという間に飛び去ったといい、姥ヶ火が人の肩をかすめて飛び去ると、その人は3年以内に死んでしまったという。ただし「油さし」と言うと、姥ヶ火は消えてしまうという。

京都府にも、保津川に姥ヶ火が現れたという伝承がある。『古今百物語評判』によれば、かつて亀山(現・京都府亀岡市)近くに住む老女が、子供を人に斡旋するといって親から金を受け取り、その子供を保津川に流していた。やがて天罰が下ったか、老女は洪水に遭って溺死した。それ以来、保津川には怪火が現れるようになり、人はこれを姥ヶ火と呼んだという。

『画図百鬼夜行』にも「姥が火」と題し、怪火の中に老女の顔が浮かび上がった姿が描かれているが、「河内国にありといふ」と解説が添えられていることから、河内国の伝承を描いたものとされる。(wikipediaより)


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姑獲鳥(うぶめ)


産女、姑獲鳥(うぶめ)は日本の妊婦の妖怪である。憂婦女鳥とも表記する。

死んだ妊婦をそのまま埋葬すると、「産女」になるという概念は古くから存在し、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられている。胎児を取り出せない場合には、人形を添えて棺に入れる地方もある。(wikipediaより)



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海座頭(うみざとう)


海座頭(うみざとう)は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』や、熊本県八代市の松井文庫所蔵品『百鬼夜行絵巻』などの江戸時代の絵巻にある日本の妖怪。

妖怪画では、琵琶法師を思わせる巨人が海上に立ち、右手に杖を持ち、琵琶を背に背負った姿で描かれている。『画図百鬼夜行』『百鬼夜行絵巻』ともに解説文がないため、どのような妖怪を意図して描かれたかは不明であり、妖怪研究家・村上健司はこれを絵画のみ存在する妖怪としている。

戦後の妖怪関連の書籍においては、陸中国(現・岩手県)の三陸沖によく現れる海坊主の一種と解釈されている。海坊主の仲間でありながら海坊主とは出現時期が異なり、海坊主が現れなくなった頃に出現するとされ、月の終わり頃によく出現する。海の上を歩き回り、漁師を脅かしたり、海を行く船を手招きして船を転覆させたり、時には船を丸ごと飲み込んでしまう。座頭姿で海上に現れて人を脅かすという説もある。ただし、海座頭が言った言葉に対して素直に応えれば姿を消すのだという。(wikipediaより)


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うわん


うわんは、佐脇嵩之の『百怪図巻』や鳥山石燕の『画図百鬼夜行』など、江戸時代の妖怪画にある日本の妖怪。

鉄漿を付けた妖怪が両手を振り上げ、怒鳴りつけて脅かすかのような姿で描かれているが、説明文がないため、正体は未詳。

鉄漿は日本の中世には公家や武家の男子も行なっていたことから、そのような家柄の妖怪、もしくは熊本県阿蘇郡小峰村(現・上益城郡山都町)でお化けを「ワンワン」、鹿児島県郡谷山町(現・鹿児島市)で化物を「ワン」ということから、その系統の妖怪と推察されている。『画図百鬼夜行』の背景により、廃屋の塀から現れる屋敷の怪との解釈もある。

また、妖怪画ではうわんの手に指が3本しかないが、3本指は鬼の特徴を意味しているとの説もある。(wikipediaより)


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襟立衣(えりたてごろも)


襟立衣(えりたてごろも)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。

天狗の首領である日本八大天狗の1人、鞍馬山僧正坊の身に纏っている僧衣の襟立衣が妖怪化したものとされ、衣に目や髭が生じ、尖った襟が鼻となった姿で描かれている。

鞍馬山僧山坊はもとは人間の高僧で、修行途中にもかかわらず悟りを得たと思い違えたために死後も成仏できず、驕りの代名詞ともいえる天狗に生まれ変わったとする説がある。天狗となってもなお僧の位階に固執するかのように身に纏い続ける僧衣は、いわば彼の驕り高ぶりの証ともいえるが、この驕り高ぶりの業、もしくは何らかの霊の憑依によって衣から変化したものが、妖怪の襟立衣とされる。(wikipediaより)


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煙々羅(えんえんら)


煙々羅(えんえんら)または煙羅煙羅(えんらえんら)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪の一種で、煙の妖怪。

画図では煙の中に不気味な顔が浮かび上がった妖怪の姿で描かれており、解説文では「しづが家のいぶせき蚊遣の煙むすぼゝれて、あやしきかたちをなせり。まことに羅(うすもの)の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば、烟々羅(ゑんゑんら)とは 名づけたらん。」とある。

このことから現在では、煙々羅とは煙の妖怪、または煙に宿った精霊であり、さまざまな姿になりながら大気中をさまよい、かまどや風呂場から立ち上った煙の中に、人のような顔の形で浮かび上がるものなどと解釈されている。また解説文中にある「羅」とは目の粗い薄布を意味し、たなびく煙をこの布のたなびく様子にたとえて「煙々羅」と名づけたとされている。

「閻羅閻羅」と表記するともいい、「閻羅」は「閻魔」に通じることから、地獄の業火のイメージがあるとする解釈もある。煙の妖怪であるため、ぼんやりと無心に煙でも眺めるような、心に余裕を持つ人間でなければ見られないとする説もある。

近藤瑞木によれば、『徒然草』十九段「六月の頃あやしき家にゆふがほの白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」を踏まえるという。。

煙の妖怪というのはほかに例が無く、珍しい妖怪といえる。煙々羅についての具体的な伝承はなく、石燕による創作妖怪の一つと考えられている。(wikipediaより)


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苧うに(おうに)


苧うに(おうに)は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』で描かれている日本の妖怪。

山姥の一種とされ、口が耳まで避けた老婆で、全身が黒い毛に覆われている。

もとは江戸時代の妖怪絵巻『百怪図巻』に「わうわう」の名で描かれていたもの。「苧うに」の「苧」とは植物のカラムシのことで、ここではカラムシまたは麻の繊維から作った糸を束ねた房を意味し、この妖怪の髪や体毛が積み上げた苧を連想させることから、石燕が「苧うに」と名づけたといわれる。

また「苧うに」の「うに」は枯れた湿原植物からできた泥炭を意味し、真っ黒なもののたとえでもあり、この妖怪の髪の黒さをたとえた名でもある。(wikipediaより)


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逢魔時(おうまがとき)


逢魔時(おうまがとき)、大禍時(おおまがとき)は、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻を意味する。

読んで字の如く、逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、大禍時は「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表すとする。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表している。

そして「丑の刻」も、昼とは同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でもあった。(wikipediaより)


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大禿(おおかぶろ)


大禿(おおかぶろ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』で描かれている日本の妖怪。

菊の花柄をあしらった着物を纏った禿頭の人物の姿として描かれている。解説文には「伝へ聞、彭祖は七百歳にして猶慈童と称す。是大禿にあらずや。日本にても那智高野には頭禿にて歯豁なる大禿ありと云。 しからば男禿ならんか。」とある。彭祖(ほうそ)とは、男女の性交によって長寿を得たといわれる仙人であり、幼名を慈童(じどう)といい、菊の露を飲んで不老不死となったという伝説から菊慈童とも呼ばれていた。また吉原にあった男色専門の茶屋では、男色対象の少年は禿頭にして少女のような姿をしていた。さらに菊とは肛門や男色を示す隠語でもある。

石燕の描く妖怪には、実際に日本に伝承されていたものではなく、社会風刺などの意味や絵解き遊びで創作したものが多いが、この大禿も同様に、慈童や菊と男色の関連性を掛け、男色の破戒僧を風刺して創作されたものといわれている。(wikipediaより)


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大首(おおくび)


大首(おおくび)は、日本の妖怪の一つで、空中などに巨大な生首が現れるというもの。

江戸時代の鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にこの名の妖怪画があり、解説文によれば、お歯黒をつけた巨大な女の生首が雨の夜空に現れるものとされるが、これは伝承上にある妖怪ではなく、実際には当時の破戒僧を風刺した創作と指摘されている。

江戸中期の妖怪物語『稲生物怪録』を描いた絵巻『稲亭物怪録』(慶應義塾大学三田メディアセンター、広島県立歴史民俗資料館所蔵)では、物置の戸を開くと巨大な老婆の顔が出現したという怪異が、「大首の怪」の題で述べられている。同物語の主人公・稲生平太郎が顔を火箸で突いたところ、少しも動じることはなく、ねばねばとした感触だったとある。(wikipediaより)


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大座頭(おおざとう)


大座頭(おおざとう)は、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。

大座頭はぼろぼろの袴と木履を履き、杖をついて風雨の降りしきる夜を徘徊する。ある人がこの者に、どこに行くのかと訪ねたところ、「いつも娼家(女郎家)に三味線を弾きに行く」と答えたという。

妖怪研究家・村上健司は、夜に徘徊している座頭の姿を石燕が異形視し、妖怪として描いたとしている。また妖怪研究家・多田克己によれば、江戸時代には座頭は幕府の庇護のもとで金融業にも携わっていたことから、鬼のように恐ろしい借金取りとしての座頭の姿を描いたものとしている。(wikipediaより)


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長冠(おさこうぶり)


長冠(おさこうぶり)は、日本の妖怪で、長い間使われ続けた冠に魂が宿り、妖怪と化したもの。その姿は鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に記されており、手に笏を持っている。

かつては冠は任官辞官の証とされたことから、保身のために冠をずっと手放さないようなよこしまな者の冠が化けた妖怪との説がある。また『百器徒然袋』のほとんどの妖怪は、石燕が『徒然草』や漢籍をもとにして創作したものとされ、この長冠もそうした創作物ともいわれる。(wikipediaより)


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